大阪高等裁判所 昭和42年(う)187号 判決 1968年11月25日
被告人 三谷秀治
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人石川元也、同深田和之連名作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴趣意第一点、原判決には刑事訴訟法三七八条二号所定の不法に公訴を受理した違法があるとの論旨について。
所論は、本件起訴状には、公訴事実として本件名誉毀損に該当するという文書の内容(証拠物である雑誌「文芸春秋」昭和三六年一月号の「外遊はもうかりまつせ」と題する文中の「アメリカとは熱海なり?」「見えすいた大ボラ」という見出しの部分の記載)を、要約摘記するという方法をとることなく、殆んど原文そのまゝを長々と引用しているが、右は明らかに起訴状には裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類の内容を引用してはならないと規定している刑事訴訟法二五六条六項に違背し、従つて同法三三八条四号により公訴提起の手続がその規定に違反した無効なものとして本件公訴を棄却すべきであるのにかかわらず、原判決が本件公訴を容れて実体的判断をしているのは同法三七八条二号の不法に公訴を受理したものであつて、破棄を免れないというのである。
よつて、検討してみるのに、右の刑事訴訟法二五六条六項は公訴事実に直接関係のない事情等を詳細に記載して起訴状一本主義の脱法を図り裁判官に事件について予断を与えることを避けようとする趣旨のものであるが、しかし起訴状には訴因を明示して公訴事実を記載すべく、公訴事実の内容については当然その犯行の方法についても具体的に特定して明示すべきものであることも同条三項に規定するところであつて、本件名誉毀損の公訴事実としては、被告人が前示文書の記載において、実田作夫という架空の人名を用い、恰も大阪府議会議員である実野作雄が米国に公務出張した際に勝手に出張日程を切り上げて帰朝することにより多額の出張旅費を不正に利得した旨の虚偽の事実を摘示して同人の名誉を毀損したというのであるから、被告人において右の実田作夫というのが実野作雄であると推知せしめるに足りるものとしてどのような文言の表示をしているのか、また実野作雄の名誉を毀損したという内容はどのようなものであるかにつき、これを具体的に明確にすることが必要であつて、そのため右文書の内容を記載するについて本件起訴状記載の程度に原文を引用することは、未だ必ずしも右の必要程度を越えているものとは思料されず、従つて右の引用記載が裁判官に事件について予断を生ぜしめる虞のあるものとして刑事訴訟法二五六条六項に違背しているとはいえない。よつて原判決が本件公訴につき同法三三八条四号により公訴棄却の判決をする措置に出なかつたのは相当であつて、所論の如く同法三七八条二号の不法に公訴を受理した違法があるものとは認められない。論旨は理由がない。
控訴趣意第二点、事実誤認の論旨について。
所論は、要するに原判示の本件記事(昭和三六年一月一日付発行の文芸春秋新年特別号掲載の「外遊はもうかりまつせ-大阪府会滑稽譚」と題する被告人執筆の記事のうち、「アメリカとは熱海なり?」「見えすいた大ボラ」との見出しを付した部分の記事)は、原判示認定の如く大阪府議会議員実野作雄に関するものではない。それは被告人が本件記事を執筆したのは、大阪府議会並びにその議員における公金の不正使用等の乱脈、腐敗ぶりを指摘してその真相を広く読者に訴え、とくに選挙人である大阪府民等に認識させて世論の批判を喚起することにより関係者の反省を促して粛正の実を挙げようとする公益的な意図に因るものであり、従つて特定の個々の議員を対象としてその非行を訴えようとしたものではなく、そこに描き出されているものは、いわば議員の群像ともいうべきものであることに照らしても明らかである。そして本件記事は、某議員が大阪府の命令によつて海外に出張しているはずの日に熱海の旅館に滞在しているのを同僚の議員に発見されたという府議会内で事実として伝えられている話を基礎とし、これに適当なフイクションを加えたものであり、主人公も自民党議員とし、それに代弁される地主階級でまた海外旅行をするにはおよそふさわしくない泥くさい田吾作的な男として、それを連想させるために実れる田を作る男(夫)の意味から実田作夫という架空の人名を考え出したもので、決してそれは原判示の如く実野作雄議員を意味するものではなく、右実田作夫を主人公とする本件記事に、それが右実野作雄議員を推知せしめるものであると断定するに足りる事情は何等見出し得ない。また本件記事は「外遊はもうかりまつせ-大阪府会滑稽譚」という標題のもとに記載されている一連の記事の一部であつて、その表題や小見出しからも判るように、この記事はユーモラスな読物として風刺的にフイクションを交えて記述された実話と創作との中間的な所謂中間読物であることが明白であつて、一般的にこの種の読物においては、その性質上事実の変形、修飾が施され、また多少のフイクションが加味されるのが通常であると理解されているもので、当然読者においても本件記事がすべて真実であると思うはずもないものであるから、それが実野作雄議員の名誉にかかわるというような評価は考えられないことである。しかも被告人には本件記事を執筆するにつき実野作雄議員を対象としているとの表象はなく、同人に関する事項を記述するという認識もなかつたのであるから、名誉毀損の犯意を欠いているというべきである。しかるに原判決が被告人に対し本件名誉毀損罪の成立を容認しているのは、明らかに事実を誤認したもので、到底破棄を免れないというのである。
そこで、所論に鑑み記録を精査して検討するに、原判決挙示の各証拠を総合すると、被告人は昭和二六年四月から大阪市生野区選出の大阪府議会議員を勤め共産党に所属しているものであるが、従来から自民党所属の府議会議員を中心とする汚職、公金不正利得等の数々の腐敗ぶりが目立つていたところから、府議会や委員会においてこれ等の責任追求の活動を行つていたが、選挙人である大阪府民等に右の腐敗、乱脈の実態を指摘して粛正の世論を高めようと考え、昭和三五年九月頃大阪府議会議員の不正な行状を内容とする一連の読物として執筆した原稿を東京都中央区銀座西八丁目四番地の文芸春秋新社に宛て同社が編集発行する月刊雑誌文芸春秋に掲載して貰う目的で送付し、同雑誌昭和三六年一月一日付発行の新年特別号に掲載されることとなつて、同雑誌は昭和三五年一二月上旬頃全国に販売頒布されたこと、被告人が執筆投稿した文書は「外遊はもうかりまつせ-大阪府会滑稽譚」と題する記事であつて、その中には右の如く大阪府議会議員の公金不正利得等を内容とする行状が、実話を背景としてこれに多少の変形、フイクションを加えた所謂中間読物の形式で記載されていること、そして本件記事は「アメリカとは熱海なり?」「見えすいた大ボラ」との見出しを付した部分に記載されているものであるが、その要旨は自由党に所属している大阪府議会議員で実田作夫という主人公が、大阪府から四〇日間の米国出張命令を受け、これに対応する旅費、日当、宿泊料等の支給を受けながらサンフランシスコ到着の翌日直ちに帰国し、右出張期間中を熱海の旅館で過し、右支給旅費、日当、宿泊料等を着服し、たまたま右旅館に泊りあわせた被告人に発見されたにもかかわらず、旅行日程を無事終了して帰国したように装つて帰阪し、米国各地の産業、文化、行政等の視察をした旨の報告をしたが、その後右熱海潜伏の事実の暴露をおそれ、被告人に対し口止料として金品を提供しようとしたところ、被告人に拒絶されて困惑したというものであることが認められる。ところで右の実田作夫という主人公は大阪府議会議員で自民党に所属している実野作雄に該当すると推知されるものであつて、被告人も同人をモデルとして本件記事を執筆したものであり、右記事の内容は人の名誉を著しく傷つける程度のものであるとの原判示認定に対し、前示の如く所論は右実田作夫は被告人が作出した全く架空の人物で右実野作雄とは関係のない者で同人を意味しているものではなく、もとより同人をモデルとしたものでもない。被告人は本件記事については特定の個人を対象とする意図は全くなかつたもので、そのことは本件記事の発想の態様、形式並びに内容に照らして明らかであり、また右記事は人の名誉を毀損すると評価されるようなものではなく、被告人には人の名誉を毀損しようとする意思は全くなかつたものであると主張するので、考察してみるのに、前掲各証拠によると、本件記事に登場する主人公実田作夫の特徴として、同人は自由党所属の大阪府議会議員で、議会ではぐず作と言われるような愚鈍な男で、またどもりであること、その祖父は南大阪一帯の大地主であつたことから、その威光で四期も重ねて議員をしているが、古参議員でありながら議長や副議長になつたことがないこと、大阪府から命ぜられて米国に公務出張したこと等が挙げられているが、他方実野作雄は昭和一三年以来同二二年から二六年四月までの間を除いてその余は連続して原審当時通算六期自民党所属の大阪府議会議員として、一般に南大阪と呼称される地域に含まれる西成区から選出されており、本件記事の掲載された雑誌文芸春秋が発行された昭和三五年一二月当時は五期の議員であつたこと、昭和三〇年三月九日から同月二五日までの間大阪府から米国出張を命ぜられた右日程のとおり出張帰国したこと、議員になつてからの海外出張はこの時の渡米一回だけでその当時三期末(昭和三〇年五月から四期)の議員であつたこと、府議会議長や副議長になつた経歴がないこと、同人は現在約二千坪の土地を所有しているに過ぎないが、先祖は隆盛期には約二〇町歩の農地を有していたこともある地主であつたため、その選挙区である西成区を中心として相当の知名人であること、同人は動作が緩慢であるとの印象を与える面もあり、また演説をする場合等は差支えないものの座談をする際とくに感情が高ぶつたときにはどもる癖があることが認められるのであつて、右の如き本件記事の主人公である実田作夫の特徴として記述されている点と、右実野作雄の経歴、性向等を対比すると、両者とも南大阪一帯のもと大地主であり、同地域出身の自民党所属の大阪府議会議員であつてどもる癖を有しており、かつ動作も緩慢な点があること、府議会議員として始めて海外出張したものであり、その議員歴においても相当古参議員であり、また議長、副議長の経歴を有しないこと等幾多の相似点が存しており、それに実野作雄に対し実田作夫という極めて酷似した姓名が用いられていること(もつとも所論は実田作夫という名称は自民党議員に代弁される地主階級で、かつ泥くさい田吾作的な男として実れる田を作る男(夫)の意味から作り出したものであつて、実野作雄議員とは全く関係がないというが、その作出の理由とするところは、にわかに信用し難い。)を併せて考究すると、右実野作雄を知る者においては右実田作夫が実野作雄を指すものと推知することは明らかであるというべきである。そして本件記事が、所論の如くある事実に多少フイクションを加えユーモラスに風刺をきかせて書かれた実話と小説との中間の所謂中間読物という分野に入るものであることは肯認されるけれども、中間読物という性質からすべての事項が全く創作されたものではなく、やはり事実であるという面を背景に存しているものであること、並びに本件記事中の人物が右認定の如く実在の人物である右実費作雄に著しく酷似していることに徴すると、本件記事は特定の個人に関し公然事実を摘示したものというべきである。そしておよそ特定の個人に関するものという場合、雑誌の頒布による事実摘示という方法がとられるときには、その読者全員が名誉を毀損された特定人が何人であるかを了解することを要するものではなく、いやしくも同人を知つている不特定または多数人において右事実の表現全体や特定人に対する予備知識を総合して、摘示された事実が何人に関するものであるかを推知できるときは、公然事実を摘示したものというを妨げないと解されるところ、前掲各証拠によると本件記事の読者のなかには、実野作雄と相当親しい間柄にあり、同人の経歴、性向を知つている者も多数あつて、その者等において本件記事の主人公実田作夫が右実野作雄を指すものであると推知したことが認められるのであつて、公然事実を摘示したことに該当するのは明らかである。しかも本件記事が著しく人の名誉を傷つける程度のものであることは、その内容自体に照らして優に肯認されるところ、右各証拠によれば、被告人は昭和二六年四月から引続き大阪市生野区選出の共産党所属の大阪府議会議員であり、本件記事執筆前においても長らく実野作雄と議員生活をともにしてきており、その間ともに大阪府議会の貿易促進委員の職務を執り、一緒に国内旅行をしたこともあつたりして、右実野作雄が右の如く大阪市西成区選出の自民党所属の議員であり、しかも所謂古参議員に当るもので、かつ府議会議員や副議長になつた経歴のないものであること、同人にはどもる癖があること、同人が前示のように米国出張をしてきたものであること等は十分了知していたものと認められ、さらに本件大阪府会滑稽譚のうち「海外旅行は唖に限る」の項に登場する府議会議員臼田光二や「香港でバツタリ」の項に登場する府議会議員丸田栄次郎、高木義文は、いずれも実在の府議会議員の姓と名を各一字つつ変えて作出したもので、実在の議員の氏名に極めて酷似しており、それ等が実在の人物や出来事をモデルにして執筆したものであることが明らかであり、本件記事における主人公実田作夫の名称も右と同様の手法によつて作出されたものであること、そして前示認定のように実野作雄と右実田作夫との間には著しい類似点が存することを併せて考察すると、被告人は右実田作夫の性格、経歴その他の特徴について実野作雄をモデルとして本件記事を記述したものと認めざるを得ない。
そうすると、被告人は本件記事の記述において右実野作雄に対し公然事実を摘示して同人の名誉を毀損する故意を有していたものと認定されるのであつて、被告人において前示の如く本件記事執筆の動機が、大阪府議会議員一般に対してその不正行為を暴露して粛正の実を挙げようと企図したことにあり、右実野作雄個人を中傷、誹謗しようとするような積極的な悪意はなかつたものであるとしても、それは未だ右故意の存在の認定を妨げるものではない。
原審において取調べたその余の全証拠を検討するも、右認定を動かすに足りるものは存しない。
よつて、被告人に対し本件名誉毀損の事実を認定した原判決に所論の如き事実誤認が存するものとは思料されないので、本論旨は採用できない。
控訴趣意第三点、法令適用違背の論旨について。
所論は、かりに被告人が本件記事を執筆し、これを原判示の如く雑誌文芸春秋に掲載販売するに至つたことが、名誉毀損の所為に該当するとしても、摘示した事実は公務員である大阪府議会議員実野作雄に関する事実にかかることであり、かつ右事実の重要な部分は要するに右実野作雄が米国へ出張した際に大阪府から支給を受けた旅費等の公費を不正に利得したという点にあり、同人が米国に出張した公務はシヤトル市における国際見本市に参加するということだけであつたのに、同人は右見本市への参加後シカゴ、ニユーヨーク等の各地を旅行し、その費用は右の大阪府から支給された経費で賄つているのであつて、それはまさに公費を私的な用途に費消したもので、不正に利得したものというべきである。従つて右の私的な用途に費消したという事実については、その証明がなされているのであるから、刑法二三〇条の二の三項により被告人は処罰されるべきものではないのにかかわらず、被告人に対して有罪を言渡している原判決は右法令の解釈適用を誤つたものであるというのである。
しかし、原判決挙示の各証拠を総合すると、本件名誉毀損の所為につき、その構成要件としての公然摘示された事実において、その重要な眼目をなす点は、右実野作雄が大阪府から命じられて米国に公務出張した際に所定の旅費、宿泊料等の支給を受けながら、右出張日程を勝手に切り上げて帰国するという方法によつて、右支給旅費、宿泊料等の公費を不法に着服したという点にあるものと思料されるところ、右実野作雄は前記の如く、昭和三〇年三月九日から同月二五日までの間大阪府から米国出張を命ぜられ、シヤトル市の国際見本市に出席した後、米国各地を旅行して出張日程どおりに帰国したことが認められるのであつて、右の如く同人が出張日程を勝手に切り上げて米国より帰国したというような事実はなく、従つて右支給旅費等を不正に着服した事実もないことが明らかであるから、本件名誉毀損の事実につき、その真実なることの証明があつたものとして被告人は罰せられるべきでないとする所論は、到底採用できない。
なお、右実野作雄が米国に出張するに際し、その身分を金扇金網株式会社の社員という形式にしているのは、当時旅券下附の申請をする便宜上の措置として大阪府がそのような方法を講じたものであることは明らかであるが、そのことから直ちに同人の出張が公務ではないものとは断じ難いのみならず、右実野作雄がシヤトル市で開かれた国際見本市に出席した後シカゴ、ニーヨーク等の各地を視察して歩いたのは、大阪府より命じられた出張日程に包含されていたものと認められるのであつて、右が所論の如く全くの私的な旅行に過ぎないものとは思料できない。
よつて、本論旨も理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条により主文のとおり判決する。
(裁判官 奥戸新三 中田勝三 梨岡輝彦)